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ふいに思い出して、ここに15年前に書いた小説読み返してみた。
下手、恥ずかしい、ほかにやるべきことがあっただろ、、。でもこれだけ書く情熱があったんだ。自分に甘いけど、嫌いじゃない。 お時間ある方、読んで少しでも過去の自分に日の目を当ててやってください。
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by zyoh
| 2020-08-25 12:31
この稼業を十年もやっていればたいていのことは経験済みなのだが、妊婦の依頼人と出くわしたのは初めてだった。
殺人的に蒸し暑い梅雨がようやくあけたころの昼下がり、妊婦は事務所にやってきた。 オレはデスクに足を投げ出し、スポーツ新聞を広げ、ワールドカップ決勝で起きたジダンの頭突き事件の記事を読んでいた。 ドアが開く音がすると、オレはいつものように入室者の頭のてっぺんから爪先まで視線を走らせ、観察しようとした。しかしオレの視線はマタニティドレスに包まれた大きなおなかで止まった。スイカをまるまる一個隠しているみたいに立派なふくらみだった。 「この夏には生まれる予定なんです」 妊婦はオレの視線に気づき、おなかをさすりながら言った。 「そうですか」 オレはそれ以外になんて言ったらいいのかわからず、「どうぞこちらへ」とデスクの正面にある依頼者用の椅子を手で示した。 妊婦のおなかの赤ちゃんをかばうような歩き方を見て、オレは立ち上がり、椅子に座る手助けをした。オレにいつものようなスケベ心はなく、妊婦に対しては神聖な気持ちを抱いていた。 「ありがとうございます」 そう言って妊婦は大きく息をついた。ただ座るだけでも妊婦には重労働なのだろう。オレは妊婦をどう扱えばいいのかわからない。こんなときにレイナがいればいいのだが、あいにく今は外出中だった。 オレはデスクに戻った。さっきは妊婦のおなかにしか目がいかなかったが、今度はそれ以外の部分を観察した。 年は二十代の後半だろう。これといった特徴のない、一般的な妊婦といった感じだ。ただ一つだけ気になることがあった。それは左手の薬指に指輪がないことだった。男と違い、女の既婚者はまず結婚指輪をしているものだ。 「妊婦さんが探偵事務所なんかに、なんの用ですか?」 オレはできるだけにこやかに切り出した。妊婦は床に目を落として黙った。急に街の騒音に混じった蝉の声が気になり出す。年代物の扇風機しかない部屋の温度がさらに上がったように感じられた。 顔を上げた妊婦は自嘲と思われる薄笑いを浮かべていた。妊婦の崩れた一面が垣間見えた気がした。 「今までに妊婦がここを訪れたことはないんですか?」 「初めてです。今日は記念すべき日ですね。今夜はとっておきのシャンパンを開けなくちゃ」 「妊婦では依頼を受けてもらえないんですか?」 「オレはそんな人種差別はしません。イタリア代表のマテラッティじゃないんですから。あなたに頭突きされたら大変だ」 オレはスポーツ新聞を広げて、ジダンが頭突きしている写真を見せた。妊婦は口に手を当てて笑った。 「人種は問いませんが、依頼内容によってはお引き受けできない場合もあります。さて、依頼内容を聞かせてもらえますか」 オレが両手を広げると、妊婦がふと思い出したように言った。 「その前にお聞きしたいことが。あなたが東京ジョーさんですか?」 オレは足を組み直し、斜め四十五度に構え、たっぷりと間を取ってから、答えた。 「そうです。オレが私立探偵 東京ジョーです」 「話しづらいことなんですが……」 妊婦は口ごもった。話しやすい要件で探偵を訪れる者はいない。オレは妊婦が再び口を開くのを待った。 「……ある人を探してほしいんです」 「おなかの子の父親ですね」 妊婦は目を見開いた。 「なぜ……わかったんですか?」 「あなたは結婚指輪をはめていない。探偵には簡単すぎるヒントですよ」 オレは調査に必要な質問を重ねていった。妊婦の名前は相楽泰子。オレの見立て通り二十代の後半だった。OLをしているが今は休職中。結婚の経験はなし。このまま父親が見つからなければ、シングルマザーへの道を一直線ってわけだ。 オレは核心に迫ることにした。 「父親についてわかっていることを教えてください」 「それが……一度しか会っていないので、ほとんどなにもわからないんです……」 オレはセブンスタ-を一本抜き取り、口にくわえたが、火をつける寸前に妊婦の前で吸うのはまずいだろうと気づき、デスクの上に戻した。 「ということは、つまり、ワンナイト・ラブで……」 泰子は頬を赤らめてうつむき、そのまま顔を上げなかった。 「相楽さん、探偵の前で恥じることなんてありません。ここを訪れるのは抜き差しならないトラブルを抱えた人達ばかりなんです。探偵はそんな依頼者を評価も非難もしません。それは探偵の役目じゃないからです。探偵はトラブルを解決するためだけに存在してるんです。さあ、遠慮なく話して」 「……ありがとうございます」 泰子はハンカチを取り出し、何度も口元をぬぐいながら話した。泰子には悪いが、ありふれた話だからオレが要約して聞かせる。 結婚適齢期になっても彼氏すらいなかった泰子は、とある週末の夜、一人で高級ホテルのバーに飲みにいった。平凡な日々を忘れ、束の間、非日常の世界に身を置きたかったのだろう。男性との出会いも意識していなかったはずはない。 いつもは空想のままで終わっていたのだが、その夜は素敵な男性との出会いが現実となった。相手は今ちまたを賑わしている『ちょいワルおやじ』だった。言葉巧みに誘われ、アルコールの力も手伝い、夢見心地のままそのホテルの一室で一夜を共にした。目が覚めると、ちょいワルおやじは跡形もなくいなくなっていたそうだ。 オレ流に言えば、ヤリ逃げされたのだ。 「おなかの子の父親は、その男に間違いないのですか?」 「……ええ。間違いありません。他の男性とは……」 ヤッてませんから。オレは心の中で続きを答えた。 「どんなことでもいいから、手掛かりになりそうなことはありませんか?」 オレはまるで期待しないで訊いたのだが、泰子の返事は意外なものだった。 「名前を聞きました。名字だけなんですけど。もしかしたら本名じゃないかもしれませんが……」 オレは背もたれから体を起こした。確かに偽名である可能性が高いが、取っ掛かりがなにもないよりはましだ。 「そうですか。その名前を教えてください」 「らいです。雷っていう字、一文字で」 ペンを握ったオレの手が止まった。雷……。一人の男がオレの脳裏に浮かんだのだ。まさかな……。 「どうしました?」 泰子がオレの顔を覗き込んでいた。 「……いや、なんでもありません」 オレはセブンスタ-に手を伸ばしたが、再び妊婦の前なのだと手を止めた。動揺しているのだ。 「あと写真があります」 その泰子の言葉でオレの動揺はさらに激しくなった。だが泰子に悟られるまいとポーカーフェイスを装った。もし雷なる人物がオレの知っているあの男だったとしたら、とんでもないことだ。 泰子はハンドバックから一枚の写真を取り出した。 「その写真はいつどうやって撮影したんですか?」 「彼がホテルのバーの会計をしているところを、こっそりデジカメで撮ったんです。どうしても彼の写真がほしくて」 オレは泰子のところまで歩いて写真を受け取り、再びデスクに戻った。そして写真を裏返しにして目の前に置いた。パソコンのプリンターでプリントアウトされたL版の写真だった。 オレは罪状を読み上げられる被告人のように緊張していた。掌に汗がにじむ。たまらなくタバコが吸いたかった。 オレは覚悟を決めて、トランプをめくるように写真をひっくり返した。……ひいたのはジョーカーだった。 オレは絶望的な気分になり、訊くつもりのなかった酷な質問をした。 「……堕ろすつもりはなかったんですか?」 「………」 押し黙っていた泰子がハンカチで口元を押さえ、嗚咽をあげた。オレはなにが起きたのかわからなかったが、すぐにつわりだと気づいた。 「大丈夫ですか? トイレはこっちです」 オレは泰子を支えながらトイレまで連れていき、中に押し込むと、ベランダに出た。そしてセブンスタ-に火をつけた。もう何日もタバコを吸っていない気分だった。 入道雲の一部になるように立ち上ぼる煙を眺めながら、まだ今ならこの依頼を断ることもできるのだと考えた。しかしこの依頼を成功させられる探偵は世界中でオレだけだった。葛藤はいつまでも消えなかった。 夕立が降りはじめてすぐ、レイナが抱えきれないほどのバーゲンの袋を持って帰ってきた。どの袋にも高級ブランドのロゴが入っている。オレはバーボンの一杯目を飲みはじめたところだった。 「ギリギリセーフ。せっかく買った洋服が濡れなくてよかった」 レイナは次々とソファの上に袋を放り投げた。 今や銀座のクラブのナンバーワンへと登り詰めたレイナと、オレの稼ぎとでは天文学的な開きがあった。しかしオレにもプライドがある。一緒に暮らしていても折半した生活費以外はびた一文もらっていなかった。レイナのヒモになるつもりはないのだ。レイナは贅沢をしていても、オレは相変わらず借金で首が回らなかった。 「どうしたのジョー。浮かない顔して。今日も依頼がなかったの?」 レイナは冷蔵庫からミネラルウォーターを出してグラスに注ぎ、袋に埋もれるようにしてソファに座った。 「いや。今日は依頼者が来た」 「よかったじゃない。何日、じゃなくって何週間ぶりかしら」 レイナは両手の指を曲げて数えようとした。 「依頼内容が問題なんだ」 「難しい依頼なの?」 オレはバーボンを飲み干し、二杯目をグラスに注いでから、かいつまんで依頼内容を説明した。 「普通の人探しじゃない」 それが一通り聞き終えたレイナの感想だった。 「探し出す人物が問題なんだ」 「その雷ってちょいワルおやじは、ただの遊び人なんじゃないの? うちの店の常連さんたちみたいな」 「いや……」 「もしかしてジョーは雷って男のこと知ってるんじゃないの?」 さすがにレイナはホステスのかたわら探偵の助手を勤めているだけのことはある。勘が鋭い。 「その通りだ」 「どんな男なの?」 オレはグラスの中で揺れる琥珀色の液体に雷の姿を思い描いた。やがてレイナの瞳に目線を移した。レイナはゴクリと喉を鳴らした。オレは重い口を開いた。 「雷は……殺し屋だ」 雷は凄腕の殺し屋だ。裏の世界でその名前を知らない者はいない。生きながら、もはや伝説と化している男だった。 名は体を表すのか、雷の殺しの手法は稲妻のような早撃ち。雷が銃を撃つところを目にした者はいない。目にした者は次の瞬間にはあの世に送られているからだ。 雷が伝説視される理由はその独特の殺しのスタイルにもあった。こだわりと言い換えてもいい。 殺しを引き受けるのは、ターゲットが戦いがいのある猛者の場合に限る。素人や弱者は相手にしない。 雷はターゲットが一人きりになったとき、どこからともなく現れる。そしてまるで西部劇のガンマンのように一対一の撃ち合いを挑む。クレイジーなことに、相手が丸腰のときにはわざわざ拳銃を与えるらしい。雷がまだ生きているということは、まだ一度も負けたことがないのだ。 オレはリュウさんがマスターを勤めるバー、『アウトサイダー』で何度か雷と顔を合わせたことがある。雷は彫りが深いマスクに、甘くロマンスグレーの前髪を垂らし、筋肉質のスラッとした体型でウエスタンブーツを履きこなしていた。まさしく見掛けはちょいワルおやじだった。しかしティアドロップのサングラスからうっすらとのぞく眼の鋭さは、そこらのちょいワルおやじとは比較にならなかった。正視しただけで風穴を開けられそうなくらいだ。 雷とリュウさんは古い知り合いらしい。それだけではなく、リュウさんが雷の仕事の窓口になっているのではないかとオレはにらんでいる。 リュウさんから酔ったはずみで雷の弱点をチラッと聞いたことがある。それは女だ。雷は無類の女好きらしい。もし万が一、雷がしくじることがあるとすれば、それは女がらみでだろうとリュウさんはこぼしていた。 今回の件も雷の悪い癖が出て、泰子をはらませたのだろう。 レイナが眠ったあとも、オレはスタンドの灯りだけをつけ、ロックのウイスキーを舐めるように呑みながら考えていた。 泰子は自分が殺し屋の子を身籠もっていると知ったら、どれほどの衝撃を受けるだろう。身重の体には酷すぎる仕打ちだ。雷は見つからなかったと嘘の報告をする考えも頭をちらついた。 生まれてくる子供にとって、父親が不明なのと、父親が殺し屋なのでは、どちらが不幸なのだろう。 オレはうっすらと暖色の光に照らされているレイナの寝顔を見た。レイナは生まれたばかりのころに捨てられ、両親の顔すら知らない。 レイナは以前、こんなことをオレに語っていた。両親を知らないと、自分に根っこがないような気がして、生きていく自信が持てなくなっちゃうことがあるの……。 たとえ親が軽蔑したり、憎むべきしかない存在であったとしても、反面教師としてでも生きる指標になる。それが親という存在なのだろう。星のない夜の航海を一生続けていくのはあまりにもつらいことだ。 しらじらと夜が明けはじめても、答えは見つからなかった。 翌日の夜、オレはリュウさんに会うためにアウトサイダーを訪れた。 店に一歩踏み入れた瞬間に、開拓時代の荒野の酒場にタイムスリップしたような気分になる。BGMとしてトム・ウェイツのしゃがれ声のブルースが流れていた。ここの客は曜日に左右されない人種ばかりなので、週末も平日も客の入りは変わらなかった。店内を見渡したが、雷の姿はなかった。 オレはスツールをブーツの底で蹴って椅子に座り、半身になってカウンターに肘をついた。 リュウさんはカウンターの中でシェーカーを振っていた。黒のタンクトップ姿で,たくましい二の腕にインディアンのタトゥーが浮かび上がっている。リュウさんはカウンターの端に一人で座る美しい中年女性の前にカクテルを置いて一言二言言葉を交わした。数年前に死んだ演技派俳優の未亡人だった。その俳優は生前、この店の常連だったそうだ。 リュウさんはオレの前にやってきた。 「また金にならない客が来やがったな」 「今、依頼を受けてる。片付けたら金が入る。そしたらツケは耳をそろえて払うよ」 リュウさんは鼻で笑った。 「そのセリフはいいかげん聞き飽きたぜ。いつものでいいのか?」 「ああ」 リュウさんはバーボンのロックを二杯カウンターに置いた。オレたちはそれぞれのグラスを手にし、タバコに火をつけた。バーボンで喉を焦がすと、オレはさっそく切り出した。「リュウさんに頼みがある」 「なんだ?」 「雷に会わせてほしい」 グラスを持つリュウさんの手が止まり、目が鋭く光った。 「ジョーも雷が何者だか、知らないわけではないだろう」 「オレも探偵のはしくれだ。もちろん知ってる。今回の依頼を果たすためには、雷に会うことがどうしても必要なんだ。頼む」 オレはレイナ以外には滅多に下げたことのない頭を下げた。リュウさんは腕を組み吐き出した煙を見つめた。 「血なまぐさい話じゃないんだろうな?」 オレは顔を上げてニヤッとした。 「おめでたい話なんだ。心配しないでくれ」 リュウさんは狐につままれたような顔をしながら店の奥に引っ込んだ。五分ほどして戻ってくると言った。 「雷に連絡をつけた。今晩、店を閉めた後、雷がここに来る」 「サンキュー、リュウさん。恩にきるよ」 「その代わり、ツケは必ず払えよ」 リュウさんはベルトにつけた鍵の束から店の鍵を外し、カウンターの上を滑らせた。オレはしっかりとキャッチした。 #
by zyoh
| 2006-08-14 22:49
| ベイビー オブ キラーズ
オレはカウンターで一人グラスを傾けながら、殺し屋が来るのを待った。人々が深い眠りについている時刻、夜が深まっていくのを背中で感じていた。哀しげな犬の遠吠えが聞こえると、再び静寂が鼓膜を押しはじめた。
どれほどの時が流れたのだろう。時間の感覚が麻痺したころ、ドアが開く音がした。振り向くと雷が立っていた。オレは全身を針で刺されたような緊張感に包まれた。 雷はブーツカットのジーンズに皮のベストを羽織り、もちろん足元はトレードマークのウエスタンブーツだった。さながら都会のカウボーイといったいでたちだ。オレも将来、こんなちょいワルおやじになりたいと憧れてしまう。 店内を見回した雷は、オレを一瞥すると、一言も発せずにゆっくりと歩み寄ってきた。見ただけでかな縛りにあってしまうような眼の力だった。どこまでも熱く、さらにはどこまでも冷たい。青い炎が燃えさかっているようだった。 ベストの左側だけわずかに膨らんでいる。拳銃を忍ばせているのだろう。今にも拳銃を抜かれて、ぶっぱなされるんじゃないかという恐怖心がわいた。このおやじはちょいワルどころじゃない、極ワルだ。 雷はオレの隣に腰かけると、はじめて口を開いた。 「オレにも一杯プリーズ」 オレはカウンターからずり落ちそうになった。なんだこの英語まじりのヘンテコな日本語は。緊迫感がすっかり薄れてしまった。 ウイスキーのロックをもう一杯つくり、雷に手渡した。雷はウイスキーをゴクッと音を立てて喉に流し込み、顔をしかめた。目尻に深いしわが刻まれた。しわさえもダンディーだった。 「オレは私立探偵東京ジョー。突然呼び出したりしてすまない」 雷は唇をゆがめてニヒルに笑った。 「ノープロブレム。リュウの頼みだからスペシャルだ。それとジョー。オレはあんたに興味があった。ジョーの噂は耳にしている。チャイニーズマフィア、さらには永瀬組とロンリーでバトルしたそうだな」 ロンリーではなくて、タッグを組んでだ。レイナという相棒がいなければオレは戦えなかった。だが訂正はせず、まあ、と言葉を濁した。 しかしこのルー大柴みたいなしゃべり方はどうにかならないものか。なによりジョーと本格的な英語の発音で呼ばれると、体中がムズ痒くなってくる。 雷はベストの内側に手を入れた。オレは銃を抜かれるのではないかと体を硬直させた。取り出されたのはシガーケースだった。雷はまるで外科医のような華麗な手さばきでシガーを一本抜き取って両側を切り、マッチで火をつけた。オレはつい見とれてしまった。 「さっそくだが雷さん……」 雷は人さし指を立ててメトロノームのように振った。 「オレのことは、サンダーってコールしてくれ」 「じゃあ、……サンダー」 サンダーと呼ぶのはものすごく恥ずかしくて赤面しそうだった。 「あんたを探してる人がいるんだ。ぜひ会ってやってほしい……」 オレの話の途中で、ふいにサンダーがぐるりと首を後ろに向けた。オレは何ごとかとサンダーの視線の先を追った。 目を疑った。ドアの前に泰子が立っていた。ドアを開ける音はまったく聞こえなかった。純白のマタニティドレスを着た泰子はまるで幽霊のようだった。 「……相楽さん、どうしてここに……」 オレは言葉を漏らした。質問の答えは予想すらできなかった。 泰子は返事しなかった。無表情でただ立ち尽くしているだけだ。なにも語らない瞳はサンダーに向けられていた。泰子の様子は明らかに異様だった。本当に幽霊なのかもしれないとオレは思いはじめた。 隣から舌打ちが聞こえた。サンダーは殺し屋の顔になっていた。凄まじい殺気がほとばしっている。 「ジョー、とんでもない奴を連れてきやがったな……」 サンダーは声を押し殺して言った。マヌケなオレはなんのことだかわからなかった。 「彼女はオレの依頼人だ。サンダー、あんたを探すように依頼されたんだ」 泰子は大きなおなかの脇についたポケットに手を入れようとしていた。 「デンジャラス! 伏せろ!」 サンダーは叫ぶと、オレに覆いかぶさるようにして倒れ込んだ。オレは椅子から転げ落ちながら、泰子を視界に捕らえ続けていた。こんな場面は決まってスローモーションで目に映る。 久しぶりに聞いた銃声が耳をつんざく。赤ちゃんがいるはずの泰子のおなかの中心から一閃の火花が吹き出す。オレとサンダーのすぐ上のカウンターの板に銃弾が撃ちこまれていた。 泰子のマタニティドレスには黒く焦げた穴がへそのようにあき、煙が上がっている。 状況をこれっぽっちも理解できずにいると、泰子の腹部から二発目が発射された。まるでおなかの赤ちゃんが銃を撃ってくるようだった。 オレは両手で頭を抱えて丸くなり、ただわめくことしかできなかった。 床に片膝をついたサンダーが体をひねり、革のベストがふわっとめくり上がったかと思うと、次の瞬間にはリボルバーが火を吹いていた。一筋の稲妻の軌跡のような、残像が残るほどの早撃ちだった。まさしく雷。サンダーだ。 泰子は横っ飛びしてテーブルを巻き込むように倒し、盾にして銃弾をかわした。妊婦のはずの女がかますマトリックス級のアクションは、悪い夢を見ているようだった。 その隙にサンダーはカウンターの裏側にオレを引き込み、身を隠した。 「いったいどうなってんだ? くそったれ!」 オレは吐き捨てた。 「あの女は殺し屋だ。ニックネームはキラーベイビー。妊婦のふりをして相手を油断させておいて、ズドン! だ」 「なんだって!」 キラーベイビー……赤ちゃんの殺し屋……。これ以上ないニックネームだった。 泰子ことキラーベイビーはマタニティドレスを脱ぎ去った。すると赤ちゃんが宿っていたはずの大きなおなかがマジックのように消えて真っ平らになった。タンクトップとボンテージの超ミニスカート姿で、全身バネのような引き締まった肉体をしていた。赤ちゃんがいなくなった代わりに、右手と左手、それぞれにブローバック式の小型拳銃が握られていた。 キラーベイビーは両手の銃を乱射した。カウンターの上にある酒瓶やグラスが粉々に砕けて飛び散り、ガラスの破片とアルコールがシャワーのように頭上から降り注いできた。 サンダーはリボルバーのグリップをいい女のふくらはぎみたいに愛しそうに握り直した。ダーティー・ハリーが愛用していたのと同じでかい拳銃だった。 サンダーは銃身にキスすると、カウンターから身を乗り出して反撃した。サンダーの放つ銃声は重く腹の底に響く。 キラーベイビーは巧みにサイドステップを繰り返し、死角に身を隠しながら距離を詰めてくる。 「久しぶりに手応えのある相手だ。エキサイティングだぜ」 サンダーは弾丸を補充しながら言って、うれしそうに舌なめずりした。このおやじはクレイジーだ。オレは心の底からあきれた。 「ヘイ、ジョー。なにかミュージックをかけてくれ」 「なんだって?」 「ライフ イズ ミュージックだ。カモン、ジョー!」 ステレオはカウンターの背後にあるが、立ち上がらなくてはスイッチを押せない。キラーベイビーから丸見えになり、格好の的になってしまう。 「ジョー、オレが援護射撃する。その間にスイッチオンだ。ライフ イズ ミュージック」 銃弾の嵐の中、サンダーはオレにウインクした。そして勝手にカウントダウンをはじめた。 「スリー、トゥー、ワン。ゴー!」 オレはやけくそでサンダーと同時に立ち上がった。耳のすぐ横を銃弾が抜けていく。闇雲にスイッチを押しまくると、速攻で床に伏せた。スピーカーからフルボリュームで切ないエレキギターが流れてきた。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」だった。 「クールだぜ!」 サンダーはお気に召したようでご機嫌だった。リズムに合わせて銃声を響かせる。 オレは銃弾によってカウンターに開いた穴から、キラーベイビーの動きをうかがった。 キラーベイビーがテーブルの陰から走り出たときだった。突如足が止まってうずくまり、嗚咽を漏らした。オレは同じ光景をどこかで目にしたことがあるような気がした。サンダーが抜け目なくキラーベイビーにロック・オンする。 「待て! 撃つな!」 オレは叫んだが、サンダーは躊躇なくトリガーをひいた。一発、二発。キラーベイビーの両手から拳銃がはじけ飛んだ。 サンダーはカウンターの上を一回転して反対側に降り立った。そしてキラーベイビーの頭部に銃口を突き付けると、バン! と口で言って撃つふりをし、銃口をふーっと吹いた。 オレは胸をなでおろした。イーグルスの演奏が終わろうとしていた。 キラーベイビーを椅子に座らせ、話を聴くことにした。サンダーはキラーベイビーの眉間に銃の照準を合わせ、片時も逸らすことがなかった。キラーベイビーは冷戦時代のタフなスパイみたいに感情を押し殺していた。 オレはキラーベイビーと膝を突き合わせて座り、言葉をかけた。 「あんた、本当に妊娠しているんだろう」 さっきのキラーベイビーの嗚咽は、事務所を訪れたときに起きたつわりと同じだった。 キラーベイビーの目が泳いだ。サンダーは「レアリー!」と驚きの声を上げた。 「まさか本当にサンダーの子供じゃないんだろ?」 「雷の子供だ」 キラーベイビーはコンピューターで合成されたような抑揚のない声で言った。オレは絶句した。はじめてサンダーの銃身がぶれた。 「サンダー、身におぼえはあるか?」 「いや……、あるような、オア、ないような。なんせ飲み過ぎると、メモリーのほうが曖昧になっちまうもんで……」 「しっかりしてくれよ」 ヒットマンの言うことをそのまま信じることはできない。しかし、エロおやじのサンダーならありえる気もした。 「なにか証拠はあるのか?」 オレが尋ねると、キラーベイビーはおもむろに髪の毛をわしづかみして引っ張った。見事なスキンヘッドが現れた。 「これでも思い出せないか?」 キラーベイビーはサンダーを見て言った。 「……思い出したぜ。何か月か前に、スキンヘッドの女と寝たメモリーがおぼろげながらある。ブラッドの匂いがする女で、それがやたらエキサイティングだったんだ」 サンダーを見つめるキラーベイビーの瞳に、女の艶が浮かび上がっていた。 「わたしはホテルのバーで雷と出会い、自分より強い男だと直感した。だから抱かれた。殺し屋だとは知らなかった」 サンダーは無言でなにか熟考しているようだったので、オレが質問を続けた。 「だったらなぜ、おなかの子の父親であるサンダーを殺そうとしたんだ」 キラーベイビーは悲しげな表情をしたように見えた。 「組織からの命令だ。ターゲットの写真を見ると雷だったので驚いたが、組織の命令は絶対だ。背けばわたしが殺される」 サンダーは銃を降ろしてホルスターにしまった。 「オーケー。ノープロブレムだ。ヘイ、キラーベイビー。ユーはオレのワイフになってべイビーを生みな。組織のことはオレがどうにかするぜ」 サンダーはキラーベイビーの肩を抱いた。キラーベイビーの目の縁には光るものがあった。オレはあまりに意外な展開にあっけにとられつつ思った。 このおやじ、やっぱりかっこいいぜ! 微かにパトカーのサイレンが聞こえた。徐々に近づいてくる。 「せっかくいい雰囲気のところを邪魔して悪いが、警察がくる。ここを出よう」 オレは先頭に立って店を出た。 「とりあえずオレの事務所に行こう。ついてきてくれ」 返事がないので振り返ると、二人の姿が消えていた。 オレはなんだかばからしくなり、深夜の散歩みたいにのんびり歩いて帰ることにした。車が一台も通らない交差点で信号待ちしているとふと気づいた。いくらサンダーが泥酔していたとはいえ、素人に簡単に写真を撮られるはずがないのだ。泰子と称したキラーベイビーがサンダーの写真を持っていた時点で、オレは疑わなければならなかったのだ。まだまだオレも探偵として修行が足りないようだった。 穴だらけで風通しのよくなったアウトサイダーに一台のパトカーが到着した。すぐにサイレンの合唱がはじまるだろう。 オレを追ってくるのは、満月だけだった。 日中韓合同で結成されていた犯罪組織が消滅したという情報が流れたのは、それから一週間もたたないうちだった。 殺し屋夫婦からはどんな赤ちゃんが生まれてくるんだろう? 最強の遺伝子を受け継いでいることは間違いない。ベイビー オブ キラーズ。考えただけで末恐ろしいぜ。 くそったれ! 完 #
by zyoh
| 2006-08-14 22:32
| ベイビー オブ キラーズ
事件は無事に解決したわけだけど、後日談ってやつがいくつかあるんだ。最後にもうしばらく付き合ってくれ。
サヤに外傷はなかったが、保護されたあと念のために病院に入院した。検査の結果、幸いどこにも異常は見つからず、二日後には退院した。 しかし体はなんともなくても、PTSDとかいって、精神的な後遺症には今後も気をつけなければならないそうだ。 専門的なことはわからないが、オレはサヤの明らかな後遺症に気づいた。ようやく取り戻した笑顔を、サヤは事件の後、再びなくしてしまっていたのだ。 オレのことはどうでもいいんだけど、一応話しておくぜ。 ガラス窓を蹴やぶったときに破片で足のあちこちを切っちまって、合計で十二針ほど縫うはめになった。ほんのかすり傷だ。 治療が済むと、警察署に連れていかれて、たっぷりと事情聴取された。 オレが探偵だとわかるとやつらは態度をガラリと一変させた。警察は探偵をトラブルに群がるハイエナみたいなものだと見下しているのだ。 事情聴取が済むと、警察の到着を待たず、危険を冒して単独で乗り込んだことを延々と責め立てられた。オレはお前ら警察が無能なせいじゃねーかと言ってやりたかった。 最後に取ってつけたように感謝状を授与すると言ってきたが、丁重にお断りした。別に警察に感謝されたくてサヤを助けたわけじゃない。 キツネ目は今回が初犯ではなかった。関西で十代のときと二十代のときに一度ずつ幼女に対する性犯罪で逮捕歴があるそうだ。やつは根っからのロリコンで性犯罪者だったわけだ。 やつの今回の罪状は誘拐と殺人未遂。長い間クサイ飯を食うことになるだろう。ブタ箱でやつが更生して真人間になって、まともな恋愛ができる日が来ることを祈るが、難しいだろうな・・・。 ミホさんのことも忘れちゃいけない。 今度の週末は、約束通りミホさんとデートすることになっていた。オイスター・バーっていうカキを食わせる店にミホさんは行きたいらしい。なんでもニューヨークが発祥の地で、日本でも流行りつつあるそうだ。 その席でオレはミホさんに、自分にはレイナという恋人がいるということを正直に告げるつもりだ。ミホさんは素敵な女性で、オレはぶっちゃけ好きになりかけている。ミホさんからの好意も感じる(うぬぼれかな?)。でも、オレとミホさんとでは住む世界が違いすぎるのだ。 オレみたいなアウトローには、レイナみたいなじゃじゃ馬がお似合いなのさ。 事件の数日後、オレはサヤの両親を開店前の「アウトサイダー」に呼び出した。 ひたすら感謝の意を述べる夫妻の前に、オレは数枚の写真を投げ出した。だんなと奥さま、それぞれの浮気現場を激写した写真だ。 夫妻は絶句し、目玉が飛び出しそうなくらい目を丸くした。オレは素知らぬ顔をしてセブンスターに火をつけた。 殺意すら感じさせる目で夫妻は睨みあい、やがて激しいののしりあいをはじめた。 オレはセブンスターを何本も吹かしながら辛抱強く夫妻の話に耳を傾け、必要なときには第三者の公正な意見をぶつけた。 しだいに夫妻は冷静さを取り戻し、後悔や反省や謝罪の言葉を口にするようになった。 三時間に渡る話し合いの結果、夫妻は今の不倫相手と別れて、サヤのために一からやり直すと約束してくれた。 翌日、オレはサヤを花見に誘った。サヤは退院してから学校を休んでずっと家に閉じこもっていたので、両親もたまには外出して気晴らしをしたほうがいいだろうと賛成してくれた。 河川敷の桜は見事に満開の花を咲かせていた。まるでブルーの空のキャンバスに、ピンクのペンキをぶちまけたみたいだ。たくさんの人々が桜の木の下で花見に興じていた。 オレとレイナとサヤの三人もあいている桜の木の根元にレジャーシートを広げて陣取った。 レイナは早起きし、気合を入れて三段重の弁当を作ってきていた。 弁当を食べながらレイナと共にあれこれと話しかけてみたが、サヤは自分の殻に閉じこもってしまってまるで無反応だった。 「サヤ、手を出してみな」 反応がないのでオレはサヤの手を取って掌を広げ、イルカのキーホルダーを乗せた。サヤは以前のようには握らずに、迷っているみたいにキーホルダーを見つめていた。 オレはサヤに言った。 「昨日、サヤのパパとママと話したんだ」 サヤははじめて反応を示した。顔を上げてオレを見た。 「パパとママは、もう仲直りしたってさ」 オレがニッと笑いかけると、サヤは花が咲くようにゆっくりと顔をほころばせ、やがて満開の笑顔を浮かべた。 サヤ、いい笑顔だぜ! 世界一かわいいぜ! くそったれ! 強い風が吹き、オレたちは桜吹雪に包まれた。 サヤの掌の上のイルカが、ピンクの海を泳ぎはじめたように見えた。 走れ! 私立探偵 東京ジョーⅢ 「笑顔をなくした天使」 (完) #
by zyoh
| 2005-07-12 23:21
| 笑顔をなくした天使
夜空を見上げると、こんな夜に限って星が綺麗だった。なんだか泣けてくるぜ。
キツネ目の部屋の窓の鉄柵にぶら下がったまま、呼吸を整えて突入のタイミングを計った。 耳をすますと、部屋の中から微かな物音は聞こえるものの、人間の声は聞こえなかった。 まだサヤの悲鳴や泣き声が聞こえたほうが安心できるってのに。もしかしたら、もうすでにサヤは・・・。 急がなくちゃならない。突入を決意した。 最後の力を振り絞って懸垂するように体を引き上げ、鉄柵に足を掛けてよじ登った。 大きく深呼吸する。 行くぞ! くそったれ! 靴の底で窓ガラスを叩き割った。デカイ音が静寂を突き破る。ガラスの破片が足に刺さって鋭い痛みが走ったが、構わずに開いた穴から手を突っ込んでロックを解除し、窓を全開にした。 まず雑然としたイメージが視神経を刺激した。四畳半の部屋には雑誌やらビデオやらDVDやらフィギィアやらがところ構わず積み上げられていた。足の踏み場もないほどだ。 そのすべてがロリータに関するものだった。 肝心のサヤとキツネ目の姿が見当たらない。 窓から首を突っ込むと、部屋の手前の隅にサヤとキツネ目がいた。キツネ目はサヤに向かって正座し、顔だけをオレの方に向けている。なにが起きたのか理解できないといった驚愕の表情を浮かべていた。 サヤは追い詰められてしまったように部屋の隅にいた。フリルつきのかわいい洋服を着たサヤは、口をガムテープでふさがれ、後ろに回された手にも足にも手錠がはめられていた。まるでサヤもたくさんあるロリータフィギィアの中の一体であるかのように見えた。 キツネ目はロリータフィギィアを鑑賞するように、あの邪悪な目で舐めまわすようにサヤを視姦していたんだろう。オレは怒りが爆発した。ヘンタイ野郎め! くそったれ! 甲高い奇声を上げて、キツネ目が立ち上がった。 オレは窓枠から飛び上がり、キツネ目の顔面に飛び蹴りをくらわせた。キツネ目の頭がガクンと後ろに折れ、奥の狭い台所まで吹っ飛んでいった。 オレはサヤに駆け寄った。サヤの体はガタガタと震えていた。口に張られたガムテープを取ってやると、サヤは激しく咳き込んだ。 「大丈夫か、サヤ? どこにもケガはないか?」 サヤは恐怖に怯え切って、言葉がでないようだ。 「すぐにここから連れ出してやるからな」 台所から再び奇声が聞こえた。人間の声とは思えない、まるで狂人のような雄叫びだ。 キツネ目が立ち上がっていた。オレの飛び蹴りによってメガネは歪んでずり落ち、片側のレンズが割れている。骨が折れて曲がった鼻からは鼻血がダラダラと流れ落ち、シャツを赤黒く染めていた。瞳孔が開き、完璧に目がイッてしまっている。 キツネ目は包丁を握り、刃先をオレに向けていた。 「馬鹿な真似はやめろ! すぐに警察が来る。お前はもう逃げられない! これ以上罪を増やすな!」 キツネ目にオレの言葉は届いていないようだった。ヒューヒューと荒い息を吐き出しながら、狂った顔つきでオレを見据えている。 キツネ目と向かい合っていると、怒りや恐怖がしぼみ、代わりに蔑みの気持ちで一杯になった。 今オレの目の前にいるのは裸の王様だった。現実の世界では誰にも相手にされず、自分の世界に閉じこもり、エゴを膨張させて王様を気取っている。大人になれなかった哀れな男・・・。 #
by zyoh
| 2005-07-12 22:20
| 笑顔をなくした天使
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